瑠璃光寺(香山公園) ☺大内義弘と足利義満の仲は円満だったといわれているが、義満が造営を諸大名に命じたのに対し、義弘は「武士とは弓矢によって奉公するもの」と言い断ったことがきかっけで軋轢が生じたとも言われている。
瑠璃光寺(香山公園) ☺室町時代の応永6年(1399年)に、勢力をの伸ばしていた守護大名の大内義弘が、将軍権力の絶対化を目指す室町幕府の足利義満に対し起こした反乱。義弘は堺に挙兵し1ヶ月半の戦闘のすえ死亡した。これをきっかけに守護大名に対する将軍権力が確立した。
瑠璃光寺(香山公園) ☺室町時代、大内氏25代の大内義弘が香積寺を建立。義弘は1399年の応永の乱で足利義満に敗れて戦死。義弘の弟である大内氏26代の大内盛見が兄を弔うために五重塔の建設を開始した。盛見も九州の少弐氏・大友氏との戦いで1431年に戦死し、五重塔は1442年頃に完成した。
神護寺 ☺女帝・称徳天皇の寵愛を受けていた僧・道鏡が769年に「道鏡を皇位に就かせたならば国は安泰である」との神託があったと言い、その真相を確認するため、宇佐神宮に派遣されたのが和気清麻呂である。また、平安京(794年)の造営の最高責任者(造営大夫)を務めた。
能仁寺 ☺新政府軍と旧幕府勢力との戦いの1つ。上野寛永寺に立てこもる彰義隊から別れ、振武軍を結成した渋沢成一郎は、能仁寺に本陣を置き、1868年5月23日に官軍と交戦した。戦闘は2日間に及んだが振武軍は惨敗した。この戦いで能仁寺本堂が火災を起こすなど、4寺が焼失、民家200戸以上が焼失した。
三溪園 ☺移築された多くの建物が重要文化財となっています。
横浜公園 ☺横浜の中心地で気軽にちょっと紅葉をたのしもおうとおもったらここぐらいかもしれない。
談山神社 ☺神社というよりお寺のような雰囲気ですが、神仏分離令より前は多武峯妙楽寺というお寺でもあった。
談山神社 ☺藤原鎌足の妻であり、藤原不比等の生母といわれる。また万葉の歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)の姉ともいわれる。
談山神社 ☺縁結びの神として鏡女王(かがみのおおきみ)が祀られている。
談山神社 ☺世界で唯一の木造の十三重塔(室町時代に再建されたもの)で、談山神社のシンボル。藤原鎌足の長男の定慧上人(じょうえ)が父の供養のために建て、談山神社のはじまり。
談山神社 ☺談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子(天智天皇)が、大化の改新の談合をこの多武峰にて行ったことから、「談い山(かたらいやま)」と呼ばれるようになった。