夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した臨済宗の僧侶です。後醍醐天皇や足利尊氏・直義兄弟など、時の権力者から絶大な信頼を得て、「七朝帝師(しちちょうていし)」とも称されました。
また、世界遺産にも登録されている天龍寺や西芳寺(苔寺)の庭園を手がけた、日本庭園の歴史における最重要人物の一人でもあります。
| 年齢(数え) | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1歳 | 1275年 | 伊勢国(現在の三重県)に生まれる。源氏の血筋を引く。 |
| 4歳 | 1278年 | 母方の縁で甲斐国(山梨県)に移住。 |
| 9歳 | 1283年 | 甲斐の平塩寺に入り、密教や教学を学ぶ。 |
| 18歳 | 1292年 | 奈良の東大寺で受戒。その後、禅宗に転向する。 |
| 31歳 | 1305年 | 鎌倉の建長寺などで修行後、一山一寧のもとを離れ、高峰顕日から印可(悟りの証明)を授かる。 |
| 51歳 | 1325年 | 後醍醐天皇の招きにより、京都・南禅寺の住持となる。 |
| 52歳 | 1326年 | 鎌倉へ戻り、瑞泉寺などを創建。その後、再び甲斐に退隠。 |
| 59歳 | 1333年 | 鎌倉幕府が滅亡。後醍醐天皇の命で再び京都へ呼ばれ、臨川寺を開く。 |
| 60歳 | 1334年 | 醍醐天皇より「夢窓国師」の号を贈られる。 |
| 64歳 | 1338年 | 足利尊氏・直義兄弟の篤い帰依を受ける。 |
| 65歳 | 1339年 | 後醍醐天皇が崩御。菩提を弔うため、尊氏に天龍寺の創建を勧める。 |
| 70歳 | 1344年 | 天龍寺の造営資金を募るため、「天龍寺船」を元(中国)へ派遣。 |
| 77歳 | 1351年 | 京都にて示寂(死去)。遺言により華美な葬儀は行われなかった。 |
瑞泉寺: 岩を削り取った力強い作風。
政治と宗教の橋渡し: 南北朝という激動の時代、対立する後醍醐天皇と足利尊氏の双方から師として仰がれました。戦乱で亡くなった人々の慰霊のために、全国に「安国寺・利生塔」を建てることを提案したのも彼です。
夢窓疎石(むそうそせき/1275年 - 1351年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代、室町時代初期にかけて活躍した、日本史上極めて重要な臨済宗の僧侶です。
高僧としてのみならず、「庭づくりの天才(作庭家)」としても世界的に有名で、時の権力者たちの精神的支柱となりました。
伊勢国(現在の三重県)に生まれ、宇多源氏の流れをくむ貴族の出身とされています。
夢窓疎石は、自然と禅の精神を融合させた独自の庭園を各地に残しました。彼にとって庭づくりは、単なる造園ではなく修行の一環でもありました。
| 庭園名 | 所在地 | 特徴 |
|---|---|---|
| 天龍寺庭園 | 京都府 | 嵐山を借景に取り入れた池泉回遊式庭園。世界遺産。 |
| 西芳寺(苔寺) | 京都府 | 黄金池を中心とした庭園。後に苔で覆われ「苔寺」として有名に。世界遺産。 |
| 瑞泉寺庭園 | 神奈川県 | 岩盤を削り取った「岩庭」など、野趣あふれる禅宗庭園。 |
| 永保寺庭園 | 岐阜県 | 渓谷の自然を活かし、名石や橋を配した美しい庭園。 |
夢窓疎石の教えは、厳格な禅だけでなく、誰にでも分かりやすく仏法を説くスタイルでした。
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🙂 寺の拝観には事前申し込みが必要です。庭園... 寺の拝観には事前申し込みが必要です。庭園のみの拝観は行っておらず、必ず写経などの宗教行事の参加が必要です。