戦国時代随一の「軍師」として名高い黒田官兵衛(くろだ かんべえ)。 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」すべてに関わり、その類まれなる知略で乱世を生き抜いた天才軍師です。
彼の生涯とその魅力を、いくつかのポイントに分けて詳しく解説します。
官兵衛は1546年、播磨国(現在の兵庫県)の小寺氏の家老の家に生まれました。 本名は黒田孝高(よしたか)。後にキリスト教に入信し「シメオン」という洗礼名を持ったり、隠居後に「如水(じょすい)」と号したことでも知られています。
当初は地元・播磨の豪族に過ぎませんでしたが、織田信長の勢力が拡大すると、いち早くその才能を見抜き、主君・小寺政職を説得して織田方に味方しました。これが彼の飛躍の第一歩となります。
信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉と出会うと、官兵衛はその軍師として頭角を現します。 同時期に秀吉を支えた竹中半兵衛と共に「両兵衛(二兵衛)」と並び称され、秀吉の天下取りを支える双璧となりました。
官兵衛の人生最大の試練は、謀反を起こした荒木村重を説得しにいった際、捕らえられ有岡城の土牢に約1年間幽閉されたことです。
秀吉が天下を統一すると、そのあまりの頭の良さを秀吉自身が恐れるようになります。「次の天下を取るのは誰か」という問いに、秀吉が官兵衛の名を挙げたという逸話もあるほどです。
1589年、官兵衛は若くして家督を息子・長政に譲り、如水と号して隠居します。しかし、彼の知略は最期まで衰えませんでした。
1600年の関ヶ原の戦いでは、中央で徳川家康と石田三成が争っている隙を突き、九州で浪人を集めて瞬く間に周辺の城を攻略。「九州を平らげ、あわよくば天下を」という壮大な野望を抱いていたと伝えられています。しかし、関ヶ原がわずか1日で決着したため、その夢は潰えました。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 軍師の才 | 合戦を囲碁や将棋のように俯瞰し、負けない戦を構築する。 |
| 合理的精神 | 無益な殺生を嫌い、説得や調略で敵を降伏させることを好んだ。 |
| 信仰心 | キリシタン大名として、一時期は熱心にキリスト教を信仰。 |
| 合子形兜 | 椀を伏せたような独特な赤い兜(如水円清)を愛用した。 |
黒田官兵衛(黒田孝高)の波乱に満ちた生涯を、主な出来事とともに年表形式でまとめました。
| 年(西暦) | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1546年 | 0歳 | 播磨国・姫路にて誕生。父は黒田職隆。幼名は万吉。 |
| 1562年 | 17歳 | 元服して官兵衛孝高と名乗る。初陣を飾る。 |
| 1567年 | 22歳 | 父から家督と家老職を継ぐ。櫛橋光(てる)と結婚。 |
| 1568年 | 23歳 | 長男・松寿丸(後の黒田長政)が誕生。 |
| 1575年 | 30歳 | 織田信長に謁見。名刀「へし切長谷部」を授かる。 |
| 1577年 | 32歳 | 羽柴(豊臣)秀吉の播磨入りに従い、姫路城を提供。 |
| 1578年 | 33歳 | 謀反を起こした荒木村重の説得に有岡城へ行くが、捕らえられ幽閉される。 |
| 1579年 | 34歳 | 有岡城から救出されるが、幽閉生活により足が不自由になる。 |
| 1581年 | 36歳 | 鳥取城攻めにて、有名な「兵糧攻め」を献策。 |
| 1582年 | 37歳 | 備中高松城の「水攻め」を献策。本能寺の変を知り、「中国大返し」を指揮。 |
| 1583年 | 38歳 | 賤ヶ岳の戦いで活躍。この頃キリスト教に入信(洗礼名:シメオン)。 |
| 1587年 | 42歳 | 九州平定後、豊前国(大分県)6郡12万石を与えられる。 |
| 1589年 | 44歳 | 長男・長政に家督を譲り、隠居。「如水(じょすい)」と号する。 |
| 1590年 | 45歳 | 小田原征伐。北条氏政・氏直父子を説得し、小田原城を無血開城させる。 |
| 1592年 | 47歳 | 文禄の役(朝鮮出兵)に従軍。名護屋城の設計などを行う。 |
| 1598年 | 53歳 | 豊臣秀吉、死去。 |
| 1600年 | 55歳 | 関ヶ原の戦い。九州で挙兵し、短期間で九州北部を平定(石垣原の戦いなど)。 |
| 1601年 | 56歳 | 筑前52万石に移封。福岡城の築城を開始。 |
| 1604年 | 59歳 | 京都の伏見藩邸にて死去。享年59歳。 |
🙂 色々中に鎧とか展示してました(・∀・)♪...
色々中に鎧とか展示してました(・∀・)♪+.゚
写真撮れないのが残念・・・
小田原の駅降りたらお土産やさんがいっぱいで、かまぼこ屋さんが
多かったです!試食がいっぱいできますヽ(゚∀゚)/
🙂 広いです。見所たくさんです。大阪城などは... 広いです。見所たくさんです。大阪城などは中にはいると、普通の博物館ですが、姫路城は生々しさが残っています。あと、となりの好古園もすごいおすすめです。
荒木村重の説得に赴くが、幽閉される。
官兵衛は太宰府天満宮で2年間隠棲しました。その時使われた井戸などがあります。
🙂 建物等はほとんどないようですが、立派な石... 建物等はほとんどないようですが、立派な石垣が残されています、くまなく歩いていると、いい汗かきます。天守台からの眺めもなかなか良くて、福岡タワーや福岡ドームが結構間近にかんじられます。
🙂 平日は見学ができないようです。土日祝日の... 平日は見学ができないようです。土日祝日の10:00~16:00のみ開門されるようです。
🙂 黒田家の墓所は、駅から近い門ではなく、ぐ... 黒田家の墓所は、駅から近い門ではなく、ぐるっとまわって北門からでないと入れません。
🙂 福岡城跡を散策中に、たまたま登ってみたら... 福岡城跡を散策中に、たまたま登ってみたら、赤・白・ピンクのきれいなお花が出迎えてくれました。無料で散策できてオススメです。