行基(ぎょうき)は、奈良時代の僧侶で、当時の仏教のあり方を根底から変えた人物です。
「文殊菩薩の化身」とまで崇められた彼は、朝廷から弾圧されながらも民衆のために尽くし、最終的には聖武天皇による東大寺大仏造立の責任者となりました。
| 年齢(数え) | 西暦 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1歳 | 668年 | 河内国(大阪府堺市)に生まれる。 |
| 15歳 | 682年 | 出家。飛鳥の薬師寺などで道昭(日本初の遣唐使僧)らに師事する。 |
| 37歳 | 704年 | 実家を改めて「家原寺」とする。その後、山林での修行に入る。 |
| 40代〜 | 710年頃〜 | 「布教と社会事業」を開始。 禁じられていた民衆への布教を行い、朝廷から弾圧を受ける。 |
| 50歳 | 717年 | 朝廷から「小僧行基」と指名され、正式に弾圧の対象となる(法律違反とされる)。 |
| 64歳 | 731年 | 行基の絶大な影響力を無視できなくなった朝廷が、弾圧を緩める。 |
| 73歳 | 740年 | 聖武天皇と面会。大仏造立への協力を求められる。 |
| 76歳 | 743年 | 聖武天皇が「大仏造立の詔」を発布。行基は勧進(寄付集め)の責任者となる。 |
| 78歳 | 745年 | 僧侶の最高位である「大僧正」に、日本で初めて任じられる。 |
| 82歳 | 749年 | 喜光寺にて示寂(死去)。大仏の完成を見届ける直前であった。 |
当時の僧侶は寺の中に閉じ籠もって国家のために祈ることが義務でしたが、行基は弟子たちと共に外へ飛び出し、民衆のためにインフラ整備を行いました。
行基が説法をすると、数千人が集まったと言われています。彼が橋を作ろうとすれば、民衆が自発的に資材を運び、労働力を提供しました。この「動員力」に脅威を感じた朝廷は当初彼を弾圧しましたが、後に大仏を作る際には、その力が必要不可欠となりました。
聖武天皇が国力を挙げた大プロジェクト「東大寺大仏」は、当時の国家財政を圧迫し、人手も足りませんでした。行基は全国を歩いて寄付を募り、技術者や労働者を結集させました。行基がいなければ、現在の大仏は完成していなかったと言っても過言ではありません。
行基は全国を行脚した伝説から、日本で最も古い形式の日本地図である「行基図(ぎょうきず)」の作成者としても名を残しています(実際には後世の仮託も含まれますが、彼の活動範囲がいかに広大だったかを象徴しています)。
🙂 足元の悪い石階段が多いので靴は登山靴では... 足元の悪い石階段が多いので靴は登山靴ではなくてもいいのでスニーカーぐらいははいたほうが良いです。
🙂 寺の拝観には事前申し込みが必要です。庭園... 寺の拝観には事前申し込みが必要です。庭園のみの拝観は行っておらず、必ず写経などの宗教行事の参加が必要です。
行基とその信者により造営された。
行基の生誕地
行基が改修したという記録(奈良時代)が残る
それまで弾圧を受けていたが、聖武天皇に請われ造立。