黒田官兵衛が仕えた「最後の天下人」、徳川家康(とくがわ いえやす)について解説します。
家康は、織田信長や豊臣秀吉のような派手さはありませんが、「究極の忍耐」と「緻密な仕組みづくり」によって、260年以上にわたる泰平の世(江戸時代)を築き上げた人物です。
家康の人生は、戦国時代の中でも特に苦難に満ちたスタートでした。
家康が前の二大巨頭(信長・秀吉)と違ったのは、「自分が死んだ後も潰れないシステム」を作ったことです。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」という句に象徴されるように、家康は非常に慎重で現実的な性格でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 江戸幕府開府 | 1603年。現在の日本の中心地・東京の基礎を作る。 |
| 関ヶ原の戦い | 「天下分け目の戦い」。石田三成率いる西軍を破る。 |
| 大坂の陣 | 1614・15年。豊臣氏を滅ぼし、戦乱を終結させる(元和偃武)。 |
| 禁中並公家諸法度 | 朝廷や公家の行動を制限し、幕府の権威を絶対的なものにする。 |
徳川家康の75年にわたる生涯を、主要な出来事とともに年表形式でまとめました。
| 年(西暦) | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1543年 | 0歳 | 三河国・岡崎城主、松平広忠の長男として誕生。幼名は竹千代。 |
| 1547年 | 5歳 | 織田信秀(信長の父)のもとで人質生活を送る。 |
| 1549年 | 7歳 | 今川義元のもと(駿府)で人質生活を送る(~18歳頃まで)。 |
| 1555年 | 13歳 | 元服して松平元信(後に元康)と名乗る。 |
| 1560年 | 18歳 | 桶狭間の戦い。今川義元の戦死を機に岡崎城へ戻り、独立。 |
| 1562年 | 20歳 | 織田信長と清洲同盟を結ぶ。 |
| 1566年 | 24歳 | 三河を平定。朝廷より許可を得て徳川家康に改姓。 |
| 1570年 | 28歳 | 本拠地を浜松城に移す。姉川の戦いで信長と共に浅井・朝倉軍を破る。 |
| 1573年 | 31歳 | 三方ヶ原の戦い。武田信玄に惨敗。 |
| 1575年 | 33歳 | 長篠の戦い。織田・徳川連合軍が武田勝頼を破る。 |
| 1582年 | 40歳 | 本能寺の変。「伊賀越え」で命からがら三河へ帰還。 |
| 1584年 | 42歳 | 小牧・長久手の戦い。羽柴(豊臣)秀吉と戦い、軍事的には勝利。 |
| 1586年 | 44歳 | 秀吉に臣従。 |
| 1590年 | 48歳 | 秀吉の小田原征伐後、関東(江戸)へ国替え。 |
| 1598年 | 56歳 | 豊臣秀吉、死去。五大老の筆頭となる。 |
| 1600年 | 58歳 | 関ヶ原の戦い。石田三成らの西軍を破り、天下を掌握。 |
| 1603年 | 61歳 | 征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開く。 |
| 1605年 | 63歳 | 将軍職を三男・秀忠に譲り、大御所となる。駿府城へ隠居。 |
| 1614年 | 72歳 | 大坂冬の陣。 |
| 1615年 | 73歳 | 大坂夏の陣。豊臣氏が滅亡し、戦国時代が終結(元和偃武)。 |
| 1616年 | 75歳 | 駿府城にて死去。日光東照宮に神(東照大権現)として祀られる。 |
家康の年表を見ると、人生の後半(50代後半〜)に一気に天下人への階段を駆け上がっているのが特徴です。まさに「鳴くまで待とう」の精神を体現した生涯と言えます。
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家康は1542年に岡崎城内で誕生、長く今川家の人質生活を送り1560年に奪還した。
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