臨済寺(りんざいじ)は、今川氏の人質時代の家康が教育を受けた寺院。1568年に武田信玄により焼失したが1582年に駿河を領有した徳川家康が正親町天皇の勅命にり復興し、現在見られる本堂などが再建された。
家康と雪斎
臨済寺の2代目住持・雪斎(せっさい)は、人質として今川家に預けられていた徳川家康(1543年-1616年)の教育係として知られる。雪斎は
建仁寺で修行をしている時、今川義元(1519年-1560年)の教育係として迎えられ、後に義元の軍師として活躍した。そして今川義元、武田信玄、北条の三国同盟を結ぶ(1554年)など、政治・軍事・外交で活躍した。「もし雪斎が桶狭間の戦いの時に生きていたなら、今川義元は織田信長に討たれなかっただろう」とも言われる。
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うんちく | 境内は参観自由。建造物・庭園は春・秋の特別拝観時のみ。大書院に竹千代(徳川家康の幼名)御手習いの間がある。 |
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