渋沢栄一の91年にわたる生涯を年表にまとめました。農民から幕臣(将軍の家臣)、新政府の官僚を経て、民間実業家として日本の土台を築き上げた歩みがよくわかります。
| 西暦 | 和暦 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|---|
| 1840年 | 天保11 | 1歳 | 誕生。 現在の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれる。 |
| 1863年 | 文久3 | 24歳 | 高崎城乗っ取り計画。 尊王攘夷に傾倒するが、直前で中止。京都へ逃れる。 |
| 1864年 | 元治1 | 25歳 | 一橋(徳川)慶喜に仕える。 幕臣として頭角を現す。 |
| 1867年 | 慶応3 | 28歳 | パリ万博へ。 将軍の弟・昭武に随行して渡欧。西洋の経済制度を学ぶ。 |
| 1869年 | 明治2 | 30歳 | 明治新政府に出仕。 大蔵省の官僚として近代化政策を推進。 |
| 1873年 | 明治6 | 34歳 | 下野(官僚を辞任)。 実業界へ転身。第一国立銀行を設立。 |
| 1878年 | 明治11 | 39歳 | 東京商法会議所(現・東京商工会議所)を設立し、初代会頭に就任。 |
| 1882年 | 明治15 | 43歳 | 大阪紡績(現・東洋紡)を設立。日本の軽工業の発展に寄与。 |
| 1900年 | 明治33 | 61歳 | 男爵を授けられる。 |
| 1916年 | 大正5 | 77歳 | 『論語と算盤』を刊行。実業界から引退し、社会事業に専念。 |
| 1923年 | 大正12 | 84歳 | 関東大震災。 震災善後会副会長として復興に尽力。 |
| 1927年 | 昭和2 | 88歳 | 青い目の人形。 日米親善のために人形交換を主催。 |
| 1931年 | 昭和6 | 92歳 | 永眠。 日本中がその死を悼んだ。 |
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、「日本資本主義の父」と称される実業家です。
2024年から発行されている新一万円札の顔としてもお馴染みですが、彼が凄いのは単に「お金を稼いだ」からではありません。生涯で500以上もの企業の設立に関わりながら、同時に600以上の社会公共事業にも尽力した、「私利私欲のためではなく、社会のために経済を回した」人物だからです。
彼の人生は、当時の激動の日本を象徴するように、目まぐるしく立場が変わりました。
明治維新後、大蔵省(現在の財務省)を辞めて実業界に入った渋沢は、日本に必要なインフラを次々と作り上げました。
| 設立に関わった主な企業・機関 | 現代の名称(例) |
|---|---|
| 第一国立銀行 | みずほ銀行 |
| 抄紙会社 | 王子製紙・日本製紙 |
| 東京馬車鉄道 | 東京都交通局(都電) |
| 日本郵船 | 日本郵船 |
| 東京瓦斯 | 東京ガス |
| 東京株式取引所 | 東京証券取引所 |
渋沢栄一の思想を象徴する言葉が「道徳経済合一説」です。
彼は「利益だけを追い求めても社会は豊かにならない。かといって、お金を稼がなければ社会を良くする活動も続けられない」と考えました。「良いビジネスをして、そこで得た富を社会に還元する」という、現代でいうサステナビリティ(持続可能性)やSDGsに近い考え方を明治時代に実践していました。
渋沢は、お金儲けと同じくらい「社会を良くすること」に情熱を注ぎました。