聖徳太子(574年 - 622年)は、飛鳥時代の皇族であり、推古天皇の摂政として「天皇を中心とした国づくり」の基礎を築いた偉大な政治家です。本名は厩戸皇子(うまやどのおうじ)。没後にその徳を讃えて「聖徳太子」という諡号(しごう)が贈られました。
聖徳太子は、それまでの「家柄(氏姓制度)」による統治から、「能力と法」による統治へと変えようとしました。
太子は篤く仏教を信仰し、日本に仏教を定着させた「日本仏教の祖」とも称されます。
聖徳太子には「10人の話を一度に聞き分けた」などの超人的な伝説が多く残っています。しかし、最近の歴史教科書では、これらの伝説は後世の「太子信仰」によって作られた側面が強いと考えられています。
聖徳太子の生涯を主要な出来事ごとにまとめた年表です。
| 年代 | 年齢(数え) | 出来事 |
|---|---|---|
| 574年 | 1歳 | 用明天皇の皇子として誕生。 |
| 587年 | 14歳 | 蘇我・物部戦争(丁未の乱)。蘇我馬子とともに物部守屋を討ち、仏教の受容が決定する。 |
| 592年 | 19歳 | 崇峻天皇が暗殺され、日本初の女帝・推古天皇が即位。 |
| 593年 | 20歳 | 推古天皇の摂政となり、蘇我馬子とともに政治を行う。四天王寺を建立。 |
| 600年 | 27歳 | 第1回遣隋使を派遣(※『隋書』の記録による)。 |
| 601年 | 28歳 | 斑鳩(いかるが)の地に斑鳩宮を築き始める。 |
| 603年 | 30歳 | 冠位十二階を制定。才能ある人材を登用する仕組みを作る。 |
| 604年 | 31歳 | 十七条憲法を制定。役人の心得を説き、国家の道徳規範を示す。 |
| 605年 | 32歳 | 斑鳩宮へ移り住む。 |
| 607年 | 34歳 | 第2回遣隋使(小野妹子ら)を派遣。隋の皇帝・煬帝へ対等な外交を求める国書を送る。法隆寺を建立。 |
| 620年 | 47歳 | 蘇我馬子とともに、日本の歴史書である『天皇記』『国記』を編纂。 |
| 622年 | 49歳 | 斑鳩宮にて崩御。 |
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