7世紀の東アジアは、朝鮮半島での勢力争いに倭国(日本)が深く関与し、その結果として起きた大敗北が、その後の日本の国家形成に決定的な影響を与えました。
660年、唐と新羅の連合軍(唐・新羅連合軍)が百済を攻撃し、百済は滅亡しました。しかし、百済の遺臣たちは再興を願い、倭国に滞在していた王子の豊璋(ほうしょう)を呼び戻すとともに、倭国へ援軍を要請します。
倭国(当時の斉明天皇・中大兄皇子)はこの要請に応じ、大規模な艦隊を派遣します。
百済を飲み込んだ唐・新羅連合軍は、北方の強国・高句麗を挟み撃ちにします。長年の戦争で疲弊していた高句麗は、668年に平壌が陥落し、滅亡しました。これにより、朝鮮半島は新羅によって統一されることになります。
白村江での敗戦後、中大兄皇子(後の天智天皇)は「次は唐が日本に攻めてくるかもしれない」という強い危機感を抱きました。
| 年(西暦) | 出来事 |
|---|---|
| 660年 | 百済が滅亡(唐・新羅連合軍による) |
| 661年 | 斉明天皇、百済救援のため筑紫へ向かうが急逝 |
| 663年 | 白村江の戦い(倭国軍、唐・新羅軍に大敗) |
| 664年 | 水城を築き、防人を配置 |
| 667年 | 天智天皇、近江大津宮へ遷都 |
| 668年 | 高句麗が滅亡 / 天智天皇が即位 |
| 670年 | 日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成 |
| 672年 | 壬申の乱(天智天皇の死後、後継をめぐる内乱) |
| 676年 | 新羅が唐の勢力を追い出し、朝鮮半島を統一 |