西郷隆盛とともに「維新の三傑」に数えられる大久保利通(1830年〜1878年)は、近代日本の骨組みを造り上げた「国家の設計者」です。
情熱的で親しみやすい西郷に対し、大久保は「冷徹なリアリスト」というイメージを持たれがちですが、その生涯は日本の近代化に捧げられた極めてストイックなものでした。
大久保は西郷と同じ薩摩藩の加治屋町に生まれました。幼少期は家が貧しく、西郷から食事を分けてもらうほどの仲でした。
大久保が目指したのは、欧米列強に負けない「強い日本」を造ることでした。
西郷とは幼馴染であり、革命の同志でしたが、維新後に決定的な対立(征韓論論争)が起こります。
「冷酷」というイメージが強い大久保ですが、実は非常に高潔な人物でした。
大久保利通の激動の生涯をまとめた年表です。
西郷隆盛が「武」や「情」の象徴とされるのに対し、大久保は「文(行政)」や「理」の象徴として、近代国家の土台を築き上げました。
岩倉使節団の副使として、欧米諸国を視察。近代化の必要性を痛感する。
1873年(明治6年):
内務省を設置し、自ら初代内務卿(事実上の最高権力者)に就任。
1874年(明治7年):殖産興業を推進。富岡製糸場の設立など、日本の産業育成に力を注ぐ。
西郷と大久保、この対照的な二人が同じ町内(加治屋町)に生まれ、協力して日本を変え、最後は敵味方に分かれたという事実は、日本史上最大のドラマと言えるかもしれません。
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