日蓮の生涯は、度重なる弾圧や流罪を乗り越えながら、自らの信念を貫き通した波乱万丈なものでした。その歩みを主要な出来事とともに年表にまとめました。
| 年代 | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1222年 | 0歳 | 安房国(現在の千葉県鴨川市)に生まれる。幼名は善日麿。 |
| 1233年 | 12歳 | 清澄寺に入り、道善房のもとで修行を始める。 |
| 1237年 | 16歳 | 出家して「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と名乗る。 |
| 1238年~ | 17歳~ | 鎌倉、比叡山、高野山、奈良などを巡り、諸宗の教えを学ぶ。 |
| 1253年 | 32歳 | 清澄寺の旭が森で「立教開宗」。初めてお題目を唱え、名を日蓮と改める。 |
| 1260年 | 39歳 | 『立正安国論』を北条時頼に提出。他宗を厳しく批判し、国の乱れを警告。 |
| 1260年 | 39歳 | 松葉ヶ谷の法難:念仏信者らに草庵を襲撃され、下総(千葉)へ逃れる。 |
| 1261年 | 40歳 | 伊豆法難:幕府により伊豆国(静岡)へ流罪となる。 |
| 1264年 | 43歳 | 小松原の法難:帰郷中に襲撃され、弟子の戦死や自身も負傷する。 |
| 1271年 | 50歳 | 龍ノ口法難:幕府に捕らえられ、処刑されかけるが、奇跡的に免れる。 |
| 1271年 | 50歳 | 佐渡法難:佐渡島(新潟)へ流罪。厳しい環境下で『開目抄』などを執筆。 |
| 1274年 | 53歳 | 佐渡から赦免され鎌倉に戻るが、幕府との折衝が決裂し、身延山(山梨)へ入る。 |
| 1281年 | 60歳 | 身延山に久遠寺を建立し、弟子の育成に励む。 |
| 1282年 | 61歳 | 病気療養のため身延山を下り、常陸(茨城)へ向かう途中の池上(東京)で死去。 |
日蓮は、自らの苦難を「法華経を広める者が受けるべき試練」として捉えていました。
晩年の約9年間は、山梨県の身延山の深い山中に住みました。ここで多くの信徒に手紙(御書)を書き、その数は数百通に及びます。これらの手紙は、現在も日蓮宗の教えの根幹として大切にされています。
日蓮(1222年 - 1282年)は、鎌倉時代に日蓮宗を開いた僧侶です。 当時の日本を襲った相次ぐ災害や内乱、モンゴル帝国の侵攻といった危機のなかで、「法華経(ほけきょう)」こそが人々を救う唯一の教えであると情熱的に説きました。
その力強い言動から多くの弾圧を受けましたが、信念を曲げなかったドラマティックな生涯で知られています。
日蓮は安房国(現在の千葉県鴨川市)の漁村に生まれました。
日蓮の教えは、非常に明快で実践的です。
日蓮ゆかりの地は、歴史的な重要性と自然の美しさを兼ね備えた名所が多いです。
| エリア | スポット名 | 特徴・ゆかり |
|---|---|---|
| 山梨県 | 身延山久遠寺 | 日蓮宗の総本山。晩年を過ごした地。樹齢400年のしだれ桜でも有名です。 |
| 千葉県 | 誕生寺・清澄寺 | 誕生寺は生誕の地。清澄寺は日蓮が初めてお題目を唱えた立教開宗の聖地です。 |
| 神奈川県 | 鎌倉(安国論寺など) | 『立正安国論』を執筆した岩窟がある安国論寺や、辻説法を行った跡地が点在します。 |
| 神奈川県 | 龍口寺(藤沢市) | 処刑の危機を奇跡的に免れた「龍ノ口法難」の地。江の島近くにあります。 |
| 東京都 | 池上本門寺 | 日蓮が亡くなった(入滅した)場所。10月の「お会式(おえしき)」は壮大な祭礼です。 |
日蓮は多くの手紙(御書)を残しており、その力強い文体は現代でも多くの人を惹きつけます。
「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」 (蔵に積んだ宝や地位よりも、健康や徳といった身の宝が勝り、それ以上に心に積んだ宝が最も大切である)
🙂 力道山の墓所は五重塔を左に、眺めのいい池... 力道山の墓所は五重塔を左に、眺めのいい池上会館は五重塔を右に。
🙂 日蓮のご臨終の間というのがあり、日蓮が寄... 日蓮のご臨終の間というのがあり、日蓮が寄りかかっていたとされる柱を触れる事もできます。