樋口一葉(ひぐち いちよう)は、明治時代の女性作家。『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの名作を残すが24歳の若さで肺結核で亡くなった。特に『大つごもり』から『裏紫』にかけての期間は、奇跡の14ヶ月とも言われる。
- 1872年(明治5年)
- 東京府の下級役人の樋口則義と多喜の次女として誕生。
- 1877年(明治10年)
- 私立吉川学校に入学。*後に転校
- 1883年(明治16年)
- 私立青海学校を首席で卒業。母の意向で上級に進まずに退学。
- 1886年(明治19年)
- 中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門し、和歌や古典文学を学ぶ。
- 1887年(明治20年)
- 兄の泉太郎が肺結核で死去。
- 1889年(明治22年)
- 父の則義が事業に失敗し、負債を残して死去。一葉が樋口家を継ぐ。
- 1891年(明治24年)
- 半井桃水に小説を学び始める。
- 1892年(明治25年)
- 処女作『闇桜』を発表する。
- 1893年(明治26年)
- 吉原遊郭近くの下谷区竜泉寺町に引っ越し、駄菓子屋を開業する。
- 1894年(明治27年)
- 本郷区丸山福山町に引っ越す。
- 『大つごもり』を発表する。
- 1895年(明治28年)
- 『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの作品を発表。
- 1896年(明治29年)
- 11月23日 肺結核のため死去。
一葉と関わった主な人物
- 中島歌子
- 一葉の歌塾「萩の舎」の師匠で、和歌や古典文学を教えた。一葉は歌子の影響で小説を書くようになった。
- 半井桃水
- 一葉の小説の師匠で、『闇桜』などの作品を指導した。一葉と桃水の関係は噂になり、一葉は桃水の門を出た。
- 平田禿木
- 文芸誌『文学界』の編集者。一葉の作品を発表する機会を与えた。一葉は禿木の依頼で『たけくらべ』などの作品を書いた。
- 森鴎外
- 明治時代の代表的な作家。一葉の作品を高く評価した。一葉は鴎外の尽力で肺結核の治療を受けたが、助からなかった。
- 田辺花圃
- 一葉の歌塾の先輩で。一葉に小説を出版することを勧めた。一葉と花圃は萩の舎の二才媛と呼ばれた。
- 岸田俊子
- 一葉の死後にデビューした女性作家。一葉の遺稿を整理し、『一葉全集』を出版。
名言など
- 色に迷う人は迷えばいい。 情に狂う人は狂えばいい。 この世で一歩でも天に近づけば、自然と天が機会を与えてくれるだろう。
- 恋とは尊くあさましく無残なものなり。