小泉八雲(こいずみ やくも)、本名ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)は、明治時代の日本を世界に紹介した最も重要な人物の一人です。ギリシャに生まれ、アイルランド、アメリカを経て日本に辿り着いた彼は、単なる外国人教師ではなく、日本の「魂」や「怪談」を深く愛し、日本に帰化した「青い目の日本人」でした。
| 年(西暦) | 年齢 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1850年 | 0歳 | ギリシャのレフカダ島で誕生(父はアイルランド人、母はギリシャ人)。 |
| 1852年 | 2歳 | 父の故郷アイルランドのダブリンへ移住。 |
| 1866年 | 16歳 | イギリスの学校での事故により、左目を失明する。 |
| 1869年 | 19歳 | 単身アメリカへ渡り、オハイオ州シンシナティなどで苦労しながらジャーナリストになる。 |
| 1887年 | 37歳 | 仏領西インド諸島のマルティニーク島に2年間滞在。 |
| 1890年 | 40歳 | 特派員として来日。島根県尋常中学校・師範学校の英語教師として松江へ赴任。 |
| 1891年 | 41歳 | 小泉セツと結婚。熊本の第五高等中学校へ転任。 |
| 1894年 | 44歳 | 神戸へ移り、英字新聞『神戸クロニクル』の記者になる。『知られぬ日本の面影』を刊行。 |
| 1896年 | 46歳 | 日本に帰化し「小泉八雲」と名乗る。 東京帝国大学の英文学講師に就任。 |
| 1903年 | 53歳 | 東京帝国大学を退職(後任は夏目漱石)。早稲田大学の講師に就任。 |
| 1904年 | 54歳 | 『怪談(Kwaidan)』を刊行。9月26日、心臓発作のため新宿の自宅にて逝去。 |
ハーンが日本を愛した理由は、当時急速に進んでいた「近代化(西洋化)」ではなく、失われつつあった「古き良き日本の精神」にありました。
小泉八雲の終焉の地(大久保)
小泉八雲の墓所
たびたび焼津を訪れた
1894年から2年近く、英字新聞「神戸クロニクル」の記者として活動
小泉八雲が半年ほど過ごした邸宅
🙂 宍道湖の夕焼け、城山稲荷神社のお稲荷様、... 宍道湖の夕焼け、城山稲荷神社のお稲荷様、月照寺の亀の石像など、松江での生活は好奇心に満ち溢れ充実していたようです。
小泉八雲がよく訪れた神社
大亀の石像が著書に登場
🙂 県立美術館のあたりからの夕焼けが夕陽百選... 県立美術館のあたりからの夕焼けが夕陽百選などにも選ばれていておすすめ。
「神々の国の首都」に登場
耳なし芳一の舞台
英語教師として熊本に赴任した最初の1年を過ごした家。