ジョサイア・コンドル(Josiah Conder, 1852年 - 1920年)は、明治政府に招かれたイギリス人建築家で、「日本近代建築の親」と称される人物です。
彼は自ら傑作を設計しただけでなく、東京帝国大学(当時の工部大学校)で教鞭を執り、「日本人建築家の第一世代」を育て上げたことにあります。
彼の教え子たちは、明治政府の威信をかけた国家プロジェクトをそれぞれ分担し、日本の都市景観を作り上げました。特に有名な「コンドルの四天王」を中心に解説します。
コンドルは、明治10年(1877年)、わずか24歳で来日しました。
コンドルの設計は、ヨーロッパの古典様式に、中東のイスラム風デザイン(擬サラセン様式)などをミックスした、非常に華やかで優雅なものが特徴です。
| 特徴 | 内容 |
|---|---|
| 折衷様式 | ゴシック、ルネサンス、イスラム風など、複数の様式を自在に組み合わせる。 |
| ベランダと装飾 | 日本の気候に合わせ、風通しの良いベランダを多用し、繊細な鉄細工などで装飾。 |
| 優美な佇まい | 弟子の辰野が「重厚・堅固」なら、師のコンドルは「優美・華麗」と評されます。 |
彼の作品は戦災などで多くが失われましたが、現存するものは日本の宝として大切に保存されています。
ビザンチン様式の巨大なドームが特徴。御茶ノ水のランドマークです。
旧岩崎邸庭園 洋館(1896年/東京都台東区)
三菱財閥の岩崎家の邸宅。ジャコビアン様式を基調とし、イスラム風の意匠も見られる、コンドルの代表作です。
三菱一号館美術館(1894年竣工・2010年復元/東京都千代田区)
丸の内最初のオフィスビル。クイーン・アン様式の赤レンガ建築で、当時の「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」の面影を伝えます。
旧古河庭園 洋館(1917年/東京都北区)
晩年の傑作。重厚な石造りの外観と、バラが咲き誇る西洋庭園、そして日本庭園が見事に調和しています。
鹿鳴館(ろくめいかん)(1883年/現存せず)
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1852年 | ロンドンに生まれる。 |
| 1877年 | 明治政府の招きで来日。工部大学校教授に就任。 |
| 1883年 | 鹿鳴館 完成。 |
| 1884年 | 教授職を辞し、建築設計事務所を開設(日本初の建築家事務所)。 |
| 1891年 | ニコライ堂 完成。 |
| 1894年 | 三菱一号館 完成。 |
| 1917年 | 旧古河庭園 洋館 完成。 |
| 1920年 | 東京の麻布にて67歳で死去。護国寺に眠る。 |
コンドルは建築以外にも、以下のような著書を通じて日本文化を世界に紹介しました。
コンドルが最初に受け持った第1期卒業生(1879年卒)を中心とした、特に重要な4人です。
| 弟子名 | 主な特徴・役割 | 代表作 |
|---|---|---|
| 辰野 金吾 | 「建築界の重鎮」。赤レンガと白い石を組み合わせた「辰野式」を確立。 | 東京駅、日本銀行本店 |
| 片山 東熊 | 「宮廷建築の第一人者」。皇室関係の豪華絢爛なネオ・バロック様式を得意とした。 | 赤坂離宮(迎賓館)、奈良国立博物館 |
| 曽禰 達蔵 | 「民間建築の開拓者」。慶應義塾の施設や、丸の内オフィス街の形成に尽力。 | 慶應義塾図書館、旧三菱銀行本店 |
| 佐立 七次郎 | 「逓信・鉄道の設計」。郵便局や駅舎など、実用的な官庁建築を多く手がけた。 | 旧日本郵船小樽支店(重要文化財) |
師匠コンドルの英国風スタイルを最も忠実に、かつ日本独自に発展させた人物です。彼の建築は「頑丈(辰野堅固)」であることで知られ、現在も東京駅のように街の顔として残っています。
コンドルから学んだ西洋古典様式を、さらに豪華にしたフランス・バロック風へと昇華させました。赤坂離宮(現・迎賓館)の設計では、コンドルに図面を添削してもらいながら、日本最高の洋風宮殿を完成させました。
コンドルに学びましたが、途中で中退しアメリカ・ドイツへ留学しました。そのため、他の弟子たちとは少し異なる「ドイツ・バロック」の影響が強く、横浜正金銀行(現・神奈川県立歴史博物館)のような重厚な作品を残しました。
コンドルは弟子たちを非常に可愛がり、彼らが独立した後も相談に乗ったり、共同でコンペに参加したりしました。
このように、コンドルという一つの種から、「東京駅(辰野)」「迎賓館(片山)」「丸の内(曽禰)」「横浜(妻木)」といった、現代の日本の観光名所が芽吹いたのです。
洋館はジョサイア・コンドルの作
ジョサイア・コンドルの設計
復元