桂小五郎(後の木戸孝允)は、高杉晋作とともに長州藩を支え、明治維新を成し遂げた「維新の三傑」の一人です。
高杉が「動」の天才なら、桂は「静」のリーダーであり、粘り強い交渉と組織作りで新しい日本を設計しました。彼の人生は、大きく「潜伏の時代(桂小五郎)」と「建国の時代(木戸孝允)」に分けられます。
幕末の京都で反幕府勢力のリーダー格だった彼は、常に新選組などに命を狙われていました。しかし、彼は危機を察知する能力に長け、絶体絶命の瞬間を何度も生き延びました。
「逃げ」は臆病だからではなく、「生きて大業を成し遂げる」という強い信念ゆえの行動でした。
長州藩と薩摩藩は犬猿の仲でしたが、坂本龍馬の仲介により、桂は薩摩の西郷隆盛と会談します。
維新後は「木戸孝允」と名を改め、近代日本の基礎を作りました。
木戸は非常に神経が細やかで、理想と現実のギャップに悩み続けた人物でもありました。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1833年 | 長州藩(萩)に生まれる。剣術は免許皆伝の腕前 |
| 1864年 | 禁門の変などで敗北し、潜伏生活を送る |
| 1866年 | 西郷隆盛と薩長同盟を締結 |
| 1868年 | 五箇条の御誓文に関わる。新政府の中枢へ |
| 1871年 | 岩倉使節団として欧米を視察 |
| 1877年 | 西南戦争の最中、京都で病没 |
豆知識:剣豪としての顔 「逃げの小五郎」という二つ名から弱そうに思われがちですが、実は神道無念流の免許皆伝で、江戸三大道場の一つで塾頭を務めるほどの剣の達人でした。「実力があるのに、あえて抜かない」という姿が、彼の知的なキャラクターを象徴しています。
🙂 1864年6月5日に新選組が尊王攘夷派の... 1864年6月5日に新選組が尊王攘夷派の志士を襲撃した「池田屋事件」の舞台となった場所。近藤勇、土方歳三などが襲撃した。桂小五郎(長州藩)はたまたま早く立ち去ったため難を逃れたと云われる。
🙂 木戸孝允は1833年、萩藩医の和田昌景の... 木戸孝允は1833年、萩藩医の和田昌景の長男として生まれ、後に桂家(近隣の藩士)の養子となり桂小五郎と名乗った。幕末では薩長同盟の締結、維新後は五箇条の御誓文、版籍奉還・廃藩置県、四民平等、憲法制定、...