天覧山の南麓にある能仁寺(のうにんじ)。境内には日本名園百選にも選ばれ、桃山時代の造園といわれる庭園がある。また飯能戦争(戊申戦争)の舞台となったことでも知られる。
あらまし
1501年にこの地の豪族であった中山家勝が小庵を開き、没後に子の中山家範が父の菩提を弔うため寺院を建設した。その後徳川将軍家の庇護のもと栄えた。
飯能戦争(戊申戦争)
新政府軍と旧幕府勢力との戦いの1つ。上野寛永寺に立てこもる彰義隊から別れ、振武軍を結成した渋沢成一郎は、能仁寺に本陣を置き、1868年5月23日に官軍と交戦した。戦闘は2日間に及んだが振武軍は惨敗した。この戦いで能仁寺本堂が火災を起こすなど、4寺が焼失、民家200戸以上が焼失した。