延暦寺(えんりゃくじ)は、平安時代に天台宗の開祖である最澄(767-822年)により開かれ、宗教の総合大学的な性格ももちあわせていたといわれており、法然(浄土宗の開祖)、親鸞(浄土真宗の開祖)、日蓮(日蓮宗の開祖)などの有名な僧が比叡山で修行を行ってきた。
比叡山の全体が境内
標高848mの比叡山の全体が境内となっており約150ほどの堂塔があります。山内は地域別に、東を「東塔(とうどう)」、西を「西塔(さいとう)」、北を「横川(よかわ)」と言い、それぞれに本堂があります。
比叡山の焼き討ちと再建
当時の強大な権力者であった白河法皇(1053-1129年)でさえも「賀茂川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧)。これぞ朕が心にままならぬもの」と言うほど延暦寺は強大な力を誇ったが、戦国末期に織田信長(1534-1582年)により比叡山焼き討ち(1571年)が起こった。信長の死後は、豊臣秀吉や徳川家康らによって各僧坊は再建された。