木曽義仲(源義仲)は、平安時代末期の源平合戦で活躍した武将です。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟(いとこ)にあたります。
「朝日将軍(旭将軍)」の名で知られ、一時は平氏を都から追い出し、武士の頂点に立ちましたが、わずか半年ほどで没落した悲劇の英雄でもあります。
義仲は武蔵国(現在の埼玉県周辺)で生まれましたが、2歳の時に父が身内の争いで討たれました。命を救われた彼は、信濃国(現在の長野県)の木曽谷に逃れ、そこで豪族・中原兼遠(なかはらのかねとお)に育てられました。このことから「木曽義仲」と呼ばれるようになりました。
1180年、平氏打倒の挙兵に加わると、北陸路を進軍して圧倒的な強さを見せました。
念願の入京を果たした義仲でしたが、すぐに苦境に立たされます。
義仲の物語には、彼を最後まで支えた魅力的な人物が欠かせません。
| 人物名 | 関係・エピソード |
|---|---|
| 巴御前(ともえごぜん) | 女武者であり愛妾。一騎当千の強者として知られ、義仲が最期を悟った際、「女を連れて死んだと言われるのは恥辱だ」と逃がされたエピソードが有名です。 |
| 今井兼平(いまい かねひら) | 義仲の乳兄弟で、幼少期から支えた忠臣。義仲の死を見届けると、「日本一の剛の者の自害を見よ」と叫び、刀を口に含んで飛び降りる壮絶な自害を遂げました。 |
俳聖・松尾芭蕉は、義仲の潔い生き様に深く共感し、「死後は義仲の隣に葬ってほしい」と遺言を残しました。滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)には、今も義仲と芭蕉のお墓が並んで建てられています。
🙂 木曽義仲の側室・巴御前が尼僧となり草庵を... 木曽義仲の側室・巴御前が尼僧となり草庵を設けたのが始まりと言われます。