和気清麻呂(わけの きよまろ、733年–799年)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した高級官僚です。
道鏡の野望を挫いた「皇統の守護者」として知られる一方、平安京への遷都を主導し、日本の都の基礎を築いた実務家としても非常に高い評価を受けています。
1. 宇佐八幡宮神託事件:命を懸けた直言
和気清麻呂の名を歴史に刻んだ最大の事件が、769年の宇佐八幡宮神託事件です。
- 勅使としての派遣: 称徳天皇から「道鏡を天皇にせよ」という神託の真偽を確かめるため、宇佐八幡宮(大分県)へ派遣されました。
- 命懸けの報告: 彼は道鏡や天皇からの凄まじい圧力を受けながらも、帰京後、「天日継(皇位)は必ず皇緒(天皇の血筋)を立てよ」という、道鏡の即位を真っ向から否定する神託を報告しました。
- 改名と流刑: 激怒した道鏡により、名前を「別部穢麻呂(わけべの きたなまろ)」と改名させられ、大隅国(鹿児島県)へ流刑に処されました。
2. 平安京遷都のプロデューサー
道鏡が失脚し、光仁天皇・桓武天皇の代になると、清麻呂は復帰し、重要な役割を担います。
- 長岡京から平安京へ: 桓武天皇が進めていた長岡京の建設が、洪水や相次ぐ不幸により行き詰まった際、清麻呂は葛野(かどの)の地(現在の京都中心部)への遷都を提案しました。
- 都市計画の実行: 地形、水運、風水を考慮した新しい都、平安京の建設を実務責任者として推進しました。彼がいなければ、1000年続く京都の歴史は始まっていなかったかもしれません。
- 治水事業: 淀川の修築や神崎川・猪名川の掘削など、大規模な土木事業も手がけ、物流の発展に寄与しました。
3. 「猪」との不思議な縁
清麻呂には、多くの天満宮や護王神社で見られる「猪(いのしし)」との伝説があります。
- 守護する300頭の猪: 大隅国へ流される途中、道鏡の放った刺客に襲われそうになった清麻呂のもとに、突然300頭の猪が現れて彼を囲み、無事に目的地まで送り届けたという伝説があります。
- 足の怪我が治った: また、刺客によって足の腱を切られていた清麻呂が、猪に守られて宇佐へ参拝すると、不思議なことに足の痛みが消え、再び歩けるようになったとも伝えられています。
- 狛猪(こまいのしし): この縁から、彼を祀る京都の護王神社では、狛犬の代わりに「狛猪」が置かれています。
4. 人物像と後世の評価
清麻呂は、私利私欲のためではなく、国の秩序と正義のために尽くした人物として、古くから日本人の理想像とされてきました。
- 和気氏の教育: 私塾「弘文院」を創設し、一族や若者の教育にも力を入れました。
- 紙幣のデザイン: 戦前には、その「忠義」の象徴として、10円紙幣の肖像画にも採用されていました。
5. 和気清麻呂の簡易年表
| 年代 |
出来事 |
| 733年 |
備前国(岡山県)で生まれる。 |
| 769年 |
宇佐八幡宮神託事件。大隅国へ流される。 |
| 770年 |
称徳天皇崩御、道鏡失脚。清麻呂は平民から官位に復帰。 |
| 784年 |
長岡京への遷都を支える。 |
| 793年 |
平安京遷都を建議。造宮大夫として指揮を執る。 |
| 799年 |
67歳で死去。 |