一乗谷(いちじょうだに)は、戦国時代に朝倉氏の城下町として栄えた都市。京都、堺につぐほどの多くの人が暮らし「北の京」とも称されていましたが、織田信長はに焼き払われ壊滅した。現在は120年かけた発掘調査がされている。
北の京 一乗谷では公家文化や禅宗文化が花開き、多くの文人墨客が集まりました。連歌、茶道、能楽などが盛んに行われ、最盛期には1万人を超す人が暮らす「北の京」とも言われた。
織田信長による滅亡(1573年) 織田信長と朝倉義景の対立が深まり、信長は朝倉氏を滅ぼすため、一乗谷へ侵攻(一乗谷城の戦い)。城下町は焼き払われ、朝倉氏の栄華は終焉を迎えた。
江戸時代以降 城下町としての機能は失われましたが、一乗谷の遺跡は長い間、人々の記憶の中に生き続け、一部は農地などとして利用されていました。
発掘調査と復原 昭和時代に入り、本格的な学術調査が開始されました。特に1967年(昭和42年)から始まった発掘調査で、城下町の様子が驚くほど良好に保存されていることが明らかになり、その価値が再認識され、1971年(昭和46年)に、国指定特別史跡に指定されました。
一乗谷の最大の特徴は、戦国時代の城下町がほぼ完全な形で発掘されていることです。
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