以下はAIを用いた回答です
因幡国府(いなばこくふ)は、奈良~平安時代、さらには鎌倉時代にかけて、国司が執務を行う役所(国庁)が置かれていた場所です。政治・文化の中心地であり、現在の国府町に位置していました。
歴史的背景
- 設立 律令制に基づき、7世紀後半から8世紀頃に整備されたと考えられています。
- 大伴家持の赴任 758年(天平宝字2年)、『万葉集』の編纂者として知られる大伴家持が国守(長官)として赴任しました。
- 万葉集結びの地 759年の元旦、家持はこの地で「新しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事」という歌を詠みました。これが『万葉集』全20巻の最後を飾る歌となり、この地は「万葉の里」としても有名です。
- 発掘と整備 長らく所在地が不明でしたが、1977年(昭和52年)の発掘調査により、現在の鳥取市国府町中郷で遺構が発見されました。翌年には国の史跡に指定されています。
主な特徴
発掘された「因幡国庁跡」は、当時の地方行政の仕組みを今に伝える貴重な遺構です。
- 建物の構成 中心部には、国司が政務を行う正殿(せいでん)、その背後に長官が執務する後殿(こうでん)、そして南門などが配置されていました。
- 規模 指定面積は約32,000平方メートルに及び、東西約150m、南北約213mの範囲に官衙(役所)が集まっていたと推定されています。
- 出土品 墨で文字が書かれた土器(墨書土器)や、役人のベルトの飾りである「石帯」、木簡などが多数見つかっており、平安時代初期(9世紀頃)の活動が特に活発だったことを示しています。
周辺の関連史跡
因幡国府の周辺は、古代因幡の「聖域」ともいえるエリアです。
| 施設・史跡名 |
特徴 |
| 宇倍神社 |
因幡国の一宮。家持も参拝したとされる由緒ある神社。 |
| 因幡国分寺跡 |
聖武天皇の命により建立された寺院跡。国府の近くに配置された。 |
| 梶山古墳 |
美しい彩色壁画(魚の図像など)が発見された、7世紀後半の古墳。 |
| 因幡万葉歴史館 |
大伴家持や万葉文化、国府の歴史を詳しく学べるミュージアム。 |
大伴家持と万葉集最後の歌
大伴家持が因幡国(鳥取県)で詠んだ歌(巻20・4516番)が、日本最古の歌集『万葉集』を締めくくります
新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
【現代語訳】
「新しい年の始まり、その初春の今日、降りしきるこの雪のように、良いことがますます重なってほしいものだ」
背景
この歌は、天平宝字3年(759年)の元旦、因幡国庁(現在の鳥取市国府町)で行われた新年の宴会で詠まれました。
- 「雪」は吉兆のしるし
当時の信仰では、元旦に降る雪は「その年の豊作を約束する瑞祥(おめでたい印)」とされていました。家持は目の前で静かに、しかし力強く降り積もる雪を見て、国の安泰と人々の幸せを願ったのです。
- 二重のおめでたさ
この年の元旦は、暦の上で春が始まる「立春」と重なる、極めて稀で縁起の良い日でした。「新しい年」と「新しい春」のダブルの始まりを祝う喜びが、「新しき」「初めの」「初春の」という言葉の重ね方に表れています。
なぜこれが「最後」なのか?
家持はこの時42歳。この歌を最後に『万葉集』の記述は途絶え、これ以降の彼の歌は一首も収録されていません。
- 政治的な苦悩 当時の家持は、権力を握る藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)によって地方へ左遷に近い形で送られていました。名門・大伴一族の勢いも衰え、家持自身も厳しい立場にありました。
- 「祈り」としての結び 自身の不遇や一族の危機という暗い現実の中にありながら、あえて「良いことよ、重なれ」という明るい祈りの歌を最後に置いたことには、彼の強い意志が感じられます。
『万葉集』のエンディング
『万葉集』は、家持が編纂の最終段階に関わったとされています。自らの華やかな代表作ではなく、あえて地方赴任中の、シンプルでまっすぐな「祈りの歌」を末尾に据えた点に、編纂者としての彼の美学が詰まっていると言えるでしょう。