豊国廟

1598年に伏見桃山城で亡くなった豊臣秀吉の亡骸は遺命により、この阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹に葬られ、廟と社殿が建立された。しかし1615年に豊臣家が滅亡し、墓も破壊されてしまった。その後秀吉の300年忌にあたる明治31年(1898年)に廟宇が再建された。
  • 489段の階段~豊国廟 登拝

    489段の階段~豊国廟 登拝

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住所
京都府京都市東山区今熊野北日吉町
料金 大人50円、子供30円

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アドバイス・レビュー

  • 山頂からは清水寺を見下ろす

  • 明治天皇により豊臣秀吉の名誉は回復されたといわれており、豊臣秀吉は幕府を開かず、天皇を補佐する関白の役職であった。

  • かつては壮大な社殿が建ち、三十三間堂あたりまでつづいていたが、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡したことで、徳川家康は豊臣秀吉の神号を剥奪し、秀吉に関する祭祀も禁じた。

  • 500段を超える階段を登ります。大河ドラマ・秀吉のオープニングにも使われていた階段です。
  • 秀吉の墓は徳川により徹底的に破壊され墓も暴かれたとか、既に盗賊にあらされて遺体もなかったなど言われています。