足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔う為に嵐山の地に建立した禅寺。京都五山第一位とされる臨済宗天竜派の大本山。足利尊氏と後醍醐天皇は、建武の新政をめぐり、激しく対立した仲であったにも関わらず、尊氏が菩提寺建立に至ったのには、当時武家から信頼を受けていた、禅僧・夢窓疎石の助言によるものとも言われている。後醍醐天皇の病死の知らせを聞いた尊氏は深く落胆したとも言われる。1467年の応仁の乱で焼失し、1585年には豊臣秀吉の寄進により復興に取り掛かるものの、江戸時代にも火災にあい、幕末の元治元年(1864年)の禁門の変(蛤御門の変)では、長州軍の陣営になり、伽藍はことごとく焼失している。現在の姿は、明治時代以後、徐々に復興されたものである。
うんちく | - 鎌倉幕府の滅亡後、足利尊氏は後醍醐天皇を補佐し、天皇の諱である「尊治」から尊の字をとり高氏から尊氏へと名を改めた。
- 足利尊氏は、北条時行(鎌倉幕府最後の将軍高時の次男)率いる反乱軍に制圧された鎌倉を奪還し、鎌倉を守っていた弟・直義(ただよし)を守るために、後醍醐天皇の許可なく征夷大将軍を自称し、鎌倉の鎮圧に向かったため、後醍醐天皇の怒りを買った。尊氏は弁明しようとしたが、後醍醐天皇は討伐軍を差し向けた。その後、尊氏は浄光明寺(鎌倉)に引きこもった後、討伐軍を打ち破り、南北朝時代へと突入していった。
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山号 | 霊亀山(れいぎざん)
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宗派 | 臨済宗天龍寺派 大本山
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寺格 | 京都五山一位
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本尊 | 釈迦如来
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創建年 | 1345年
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開基 | 足利尊氏
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開山 | 夢窓疎石
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正式名 | 霊亀山 天龍資聖禅寺
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特別名勝・史跡 | 庭園
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世界遺産 | 古都京都の文化財 |
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