長浜城・豊公園

長浜城(ながはまじょう)は、豊臣秀吉が織田信長に仕えていた頃に築城した城。現在の天守は1983年に疑似復元されたもので、内部は歴史博物館として公開されています。城郭の周辺は豊公園として整備され、春には約800本の桜が咲き誇り「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

築城

織田信長に仕えていた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の活躍で浅井長政(あざいながまさ:信長の妹のお市の夫)を滅ぼす事に成功した後、その功績により浅井氏の領地を得て築城された。豊臣秀吉がはじめて城持(しろもち)に出世した城でもある。湖から城内へは船の出入りができるようにもなっていた。

廃城

1582年の本能寺の変で、織田信長亡きあとの清洲会議により長浜城は柴田勝豊(柴田勝家の甥)が城主となったが、秀吉はすぐに勝豊を降伏させ、長浜城を取り返した。1583年の賤ヶ岳の戦い(豊臣秀吉と柴田勝家の戦い)の後は、山内一豊(土佐藩初代藩主)などが在城したが、豊臣氏が滅亡し1615年には長浜城は取り壊された。、石垣など多くの材料が彦根城の建設のために使われました。
  • 豊公園の桜

    豊公園の桜

  • 天守と広場

    天守と広場

  • 長浜城城址と桜

    長浜城城址と桜

  • レビュー写真

    長浜城の上からの景色

住所
滋賀県長浜市公園町10-10

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