標高345mの白旗が峰に築かれた城跡。別名・霞ヶ城や白旗城とも呼ばれる。1440年頃、二本松満泰(-みつやす)により築城。戊辰戦争(1868~)の折に大半を焼失したが天守台などが復元された。周辺は霞ヶ城公園として整備されており「日本さくら名所100選」にも選ばれている。
- 1341年
- 室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が居を構え、地名を二本松 とした。
- 1414年 or 1441~1443年
- 畠山氏7代当主・二本松満泰(-みつやす)が二本松城を築城。
- 戦国時代
- 伊達政宗の攻撃を受ける。
- 1585年
- 15代当主・二本松義継は、政宗の父・輝宗に降伏を申し出る。しかし二本松義継は輝宗を拉致することとなり、追ってきた政宗の攻撃で義継と輝宗は死亡(粟之巣の変事)。
- 1586年
- 政宗の攻撃により二本松城は開城。二本松氏は滅亡。
- 1591年
- 政宗が岩出山城(宮城県)に転封され、二本松城は蒲生氏郷(若松城主)の支城となる。
- 1627年
- 蒲生氏が松山城(愛媛)に転封となる。会津には加藤嘉明が入る。
- 1643年
- 白河小峰城より丹羽長秀の孫・光重が入城。この際に、本丸に石垣が積まれ、天守が築かれるなど大改修 を行う。明治維新まで丹羽氏の居城となる。
- 1868年
- 戊辰戦争に際し二本松藩は新政府軍と戦ったが落城。城の建物の多くが焼失。
- 1993(平成5)~1995年
- 天守台、本丸の修復、復元がなされた。