奥州平泉は奥州藤原氏が平安時代後期に約100年の間支配した地。朝廷の支配も及ばず、産出される砂金や交易で京をも凌ぐ栄華を誇った。源義経が若き日を過ごし、最後を遂げた場所であり、100年続いた都は源頼朝により滅ぼされた。
うんちく | - 「黄金の国ジパング 」の伝説はこの平泉の中尊寺・金色堂ではないか?ともいわれている。
- 奥州藤原氏・・・清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)、泰衡(やすひら)と4代続いた。
- 平泉を攻めた源頼朝も、平泉の寺には手出ししないよう兵士に厳命し、また修理も行わせた。
- 歌舞伎「勧進帳(かんじんちょう)」は、頼朝の怒りを買った義経一向の奥州平泉までの苦難を描いたもの。
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