浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、鎌倉幕府第6代執権・北条長時が1251年に開基した寺院。足利尊氏ゆかりの寺院としても知られ、後醍醐天皇が新田義貞や尊良親王などに足利尊氏討伐を命じ、足利尊氏は赦免を求めこの寺に篭っていたが、その最中に弟・直義が戦で劣性であることを聴き「直義が死ねば自分が生きていても無益である」と挙兵し、南北朝時代の幕開けとなった。
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浄光明寺
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浄光明寺
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浄光明寺 阿弥陀三尊像ほか公開
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説明
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不動堂
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本堂
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鐘楼
うんちく | - 鎌倉幕府の滅亡後、足利尊氏は後醍醐天皇を補佐し、天皇の諱である「尊治」から尊の字をとり高氏から尊氏へと名を改めた。
- 足利尊氏は、北条時行(鎌倉幕府最後の将軍高時の次男)率いる反乱軍に制圧された鎌倉を奪還し、鎌倉を守っていた弟・直義(ただよし)を守るために、後醍醐天皇の許可なく征夷大将軍を自称し、鎌倉の鎮圧に向かったため、後醍醐天皇の怒りを買った。尊氏は弁明しようとしたが、後醍醐天皇は討伐軍を差し向けた。その後、尊氏は浄光明寺(鎌倉)に引きこもった後、討伐軍を打ち破り、南北朝時代へと突入していった。
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山号 | 泉谷山(せんこくざん)
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宗派 | 真言宗泉涌寺派
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本尊 | 阿弥陀三尊
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創建年 | 1252年
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開基 | 真阿
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国の重要文化財 | 阿弥陀三尊像
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県重要文化財 | 地蔵菩薩立像 |
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