織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」で知られる本能寺(ほんのうじ)。現在の建物は1928年(昭和3年)に再建されたもので、本能寺の変が起きた場所からは移転されている。
あらまし
室町時代の1415年、日隆(にちりゅう)によって創建されたのが始まりとされる。織田信長は本能寺の日承に帰依し、この寺を上洛中(京都入り)の宿所としていた。その当時は平城のように堅固な構えであったといわれる。しかし1582年の本能寺の変で建物は焼失。1591年に豊臣秀吉の命で移転し再建。1864年の禁門の変(蛤御門の変)で焼失(隣接してた長州藩邸からの延焼と言われる)。1928年(昭和3年)に再建された。