大阪下町のシンボル「通天閣」。現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成し高さ103m。設計者は、
東京タワー(1958年)を設計した内藤多仲。国の登録有形文化財(2007年)にもなっています。
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ジャンジャン横丁から通天閣まで歩く
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ジャンジャン横丁から通天閣まで歩く
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通天閣
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新世界
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入口
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天王寺⇒新今宮のJR環状線から
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ライトアップ
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天井絵
豆知識 | - 当時、松下電器、三洋電機、シャープなどに対抗して大阪に進出しようとして日立が、通天閣に1957年から広告をだし、大阪でも知名度は上がった。松下電器社長の松下幸之助は広告を断った事を後悔し後に浅草寺の雷門や札幌テレビ塔の電光時計の寄進を行なった遠因といわれている。
- 2006年から日立製のエレベーターを使用。
- 初代通天閣は初代通天閣が1912年(明治45年)にパリのエッフェル塔と凱旋門を模し建設された。当時の広告は「ライオン歯磨」。現在は二代目通天閣。
- 初代通天閣の電灯工事には大阪電灯に勤務していた松下幸之助(当時17歳)が配線工として参加していた。
- 当時日本一の高さだった名古屋タワー(160m)より高いタワーを建てようとしたが、敷地面積の関係でとん挫し、せめて展望台の高さだけはということで、展望台は日本一の91m(名古屋タワーは90m)で建設した。
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