史跡韮山反射炉
韮山反射炉と江川邸
ペリー来航(1853年)後、脅威を感じた幕府は、品川台場(お台場)の築造とともに、伊豆韮山代官・江川英龍に命じ、洋式の砲台を建設させた(約12基の台場を一定の間隔で築造する計画)。1854年のペリー再来航時には一部の砲台は完成(品川台場)。砲台は一度も火を噴くことなく開国したが、この時、品川沖まで来たペリー艦隊はこの砲台のおかげで横浜まで引き返したといわれる。
お台場に設置する大砲を製造するために建てられた反射炉。明治になる以前の江戸末期に作られた工場のようなもので、大砲の製造まで一気通貫でつくられていた。
アクセス 車以外のアクセスは韮山駅や伊豆長岡駅からスマホで借りれるレンタサイクルを使うと便利だと思います。