おしじょう

忍城

石田三成による水攻めを受けた事でも知られる。昔は沼に囲まれ、水郷のようであったと言われる。江戸時代には忍藩の藩庁が置かれ、明治維新の際に多くが取り壊されてしまった。現在は本丸跡地に天守閣の代わりに利用されていた御三階櫓(ごさんかいやぐら)などが再現されている。
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    かつての忍城の俯瞰図。

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うんちく
  • 忍城や水攻めの話は映画「のぼうの城」のモデルになっている。
1478年頃
地元の豪族であった成田正等・顕泰の父子が台頭し築城。
1553年
北条氏康は忍城を攻めるが失敗。
1559年
上杉謙信が関東に進出し、城主の成田長泰は恭順する。
1561年
小田原城の戦いの後に羽生領の帰属を巡り上杉謙信と対立。
1563年
上杉謙信に忍城を攻められ成田長泰は降伏し隠居。
1590年
豊臣秀吉による小田原征伐の折、石田三成により水攻めを受けるが落城せず、小田原城落城後に開城。
1590年
徳川家康が関東に入り、家康の四男である松平忠吉が忍城に入城。
1639年
幕府老中の阿部忠秋が城主となり、忍城と城下町の整備が始められる。
1823年
阿部氏が白河(福島県)へ移り、忍城には桑名(三重県)から松平忠堯が入る。
~
以後明治維新まで松平氏が城主となる。

周辺スポット・最寄り駅

アドバイス・レビュー

  • 1590年、豊臣秀吉による小田原征伐の折、秀吉方の石田三成が忍城を攻めることになったが、城攻めは進まず水攻めの策に切ってでた。約1週間で延長28kmにおよぶ堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れたが。城は沈まずに失敗に終わる。小田原城が7月6日に開城した後の7月14日に忍城は開城することとなった。この時の堤防は「石田堤」として今も一部が残る。