| アクセス | 河毛駅→徒歩約25分→登山口→徒歩約25分→本丸曲輪部分 |
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| 住所 | 滋賀県長浜市小谷郡上町139 |
小谷城の戦いは、1573年(天正元年)に織田信長が浅井長政を攻め滅ぼした、北近江(現在の滋賀県長浜市)を舞台にした決戦です。
この戦いによって、三代続いた戦国大名・浅井家は滅亡しましたが、長政の妻・お市の方や、後の歴史に大きく関わる「浅井三姉妹」が生き延びたことでも有名です。
もともと織田信長と浅井長政は同盟関係にありましたが、信長が浅井の長年の盟友である朝倉氏を攻めたことで長政が反旗を翻し(金ヶ崎の戦い)、以後数年にわたる対立が続いていました。
この戦いの後、小谷城は廃城となり、功績を認められた秀吉がその資材を使って「長浜城」を築きました。
浅井氏と織田氏の戦いは、義兄弟・同盟者であった。なぜ激突し、滅亡に至ったのか。その全体の流れを時系列で整理します。
信長は、上洛(京都へ行くこと)のルートを確保するため、北近江の有力大名・浅井長政に妹のお市の方を嫁がせ、強固な同盟を結びました。
最大の転換点です。信長が約束を破り、相談なしに朝倉領へ侵攻しました。
怒りに燃える信長は、態勢を立て直すとすぐに近江へ侵攻します。
姉川で敗北したものの、浅井氏はしぶとく抵抗を続けます。
後ろ盾を失いつつある浅井・朝倉に対し、信長が総攻撃を仕掛けます。
| 出来事 | 時期 | 結果・影響 |
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| 同盟成立 | 1567年頃 | 信長の上洛がスムーズに。お市が嫁ぐ。 |
| 金ヶ崎の退き口 | 1570年4月 | 長政の裏切り。信長が人生最大の危機を迎える。 |
| 姉川の戦い | 1570年6月 | 織田・徳川の勝利。浅井側の有力武将が多く戦死。 |
| 志賀の陣 | 1570年秋 | 泥沼の持久戦。信長、比叡山を焼く。 |
| 小谷城の戦い | 1573年9月 | 浅井氏滅亡。お市と三姉妹は救出される。 |