難波宮(なにわのみや)は、飛鳥・奈良時代の遺跡。日本書紀に記録はあったが、1953年(昭和28)頃までは所在地は不明なままであった。
大阪歴史博物館で遺構の見学やガイドツアーなどが行われている。
前期難波宮(651~686)
港に近い難波はもともと外交・交易などの表玄関であった。645年に
飛鳥板蓋宮(飛鳥京跡)で蘇我入鹿が暗殺された直後に、皇極女帝は退位し、弟である軽皇子(孝徳天皇)が即位。中大兄皇子(後の天智天皇)とともに実権を握った。そして645年の12月には都を飛鳥から「難波」に移した。後に中大兄皇子と孝徳天皇は対立し、中大兄皇子は飛鳥へ、孝徳天皇は難波宮で生涯を閉じたといわれている。
後期難波宮(726~793)
平城京の副都として、726年(奈良時代)に聖武天皇により再建されたと考えられています。
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難波宮跡公園
うんちく | 日本書紀では「686年に難波の宮室は全焼した」という記録があり、この遺跡からも火災の跡が見つかっている。 |
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