佐和山城跡(さわやま-)は標高約232.5mの佐和山にあった城跡。織田信長の腹心・丹羽長秀、豊臣秀吉の腹心・石田三成が居城としたことでも知られる。関ヶ原の戦い・佐和山城の戦いで石田氏が滅亡した後には、徳川四天王の一人・井伊直政が入城した。しかし石田三成は領民からも慕われていたため、井伊直政はその威光を払拭するべく、彦根城の築城を計画した。佐和山城の建造物は彦根城へ移築された、残ったものも破壊された。現在の城址には石垣・土塁などの遺構が残る。
うんちく | - 鎌倉時代には砦が築かれていた。
- 1600年の関ヶ原の戦いのすぐ後の佐和山城の戦いで攻め込んだ徳川方は「さぞ華美を尽くした城だろう」と思い、城内に入ったが、粗壁で装飾もなく、石田屋敷にあったものは豊臣秀吉から送られた感謝状のみであったと云われる。
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