豊臣秀吉が隠居後の住まいとするた建設を始めた城。築城開始から2年後の1594年に豊臣秀吉が入城し、1596年に完成したが、直後に慶長伏見地震により倒壊。その後約1km離れた木幡山に新たに築城され1597年に完成。翌年に豊臣秀吉は城内で没した。秀吉の死後には豊臣秀頼は大坂城に移り、五大老筆頭・徳川家康がこの城に入城したが、関ヶ原の戦いの折に西軍に攻められて大半が焼失。1602年頃になり徳川家康によって再建されるが1623年に廃城となった。廃城後の天守は
二条城に、また多くの建物は
福山城などで再利用された。
うんちく | - 現在見られる天守閣は伏見城をモデルとした鉄筋コンクリート製の模擬天守(1964年)。
- 伏見指月(現・伏見区桃山町泰長老)に造られた城は指月伏見城、木幡山に造られた城は木幡山伏見城、徳川家康により再建された城は伏見桃山城と呼ばれる。
- 城跡一帯に桃の木が植えられた事から伏見城の通称として桃山城と呼ばれるようになった。
- 関ヶ原の戦いの折に伏見城にたてこもっていた徳川家の家臣らは自刃した。この時の建物の床板は血天井として知られ、養源院、源光庵、宝泉院などで見る事ができる。
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築城主 | 豊臣秀吉
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築城年 | 1592年
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主な改修者 | 徳川家康
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主な城主 | 豊臣氏、徳川氏
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廃城年 | 1623年
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遺構 | 移築門、石垣、堀 |
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