ひめゆりの塔は、沖縄戦末期に、多くの犠牲を出した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑。名前は看護要員として従軍した「ひめゆり学徒隊」にちなむ。また生存者の手記、証言ビデオでなどが展示されている「ひめゆり平和祈念資料館」も併設されている。
姫百合学徒隊(ひめゆり-)
太平洋戦争末期の1945年3月23日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女学生ら計240名(教師18名・生徒222名)が、南風原の沖縄陸軍病院に看護要員として従軍。姫百合学徒隊と呼ばれた。しかし4月には米軍が上陸、5月には戦線が迫り、地下壕などに潜んでいたが、戦局が絶望的となり6月18日に解散命令がだされた。戦場の中取り残さ、死亡者のうち80%は解散命令1週間以内に亡くなった。この沖縄戦で136人が亡くなった。
うんちく | - 「ひめゆり」は学徒隊員の母校、沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた言葉。
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