平将門の首塚

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アクセス 東京メトロ・都営地下鉄・大手町駅 C5出入口→徒歩1分
住所
東京都千代田区大手町一丁目2番1号

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アドバイス・レビュー

  • 京都で処刑された平将門の首がここまで飛んできたとか。

  • 平将門について

    平将門(たいらの まさかど、生年不詳–940年)は、平安時代中期に東国(現在の関東地方)で大規模な反乱を起こし、自らを「新皇(しんのう)」と称した武将です。


    1. 承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)

    将門の生涯は、一族間の領地争いから始まり、やがて国家に対する巨大な反乱へと発展しました。

    • 一族の抗争: 桓武天皇の血を引く「桓武平氏」の一族でしたが、父の死後、伯父たちとの間で領地を巡る激しい争いが起こりました。
    • 関東の英雄へ: 当時、中央政府の徴税に苦しんでいた関東の農民や地方武士たちは、圧倒的な武勇を持つ将門をリーダーとして仰ぐようになります。
    • 新皇の宣言: 939年、将門は関東の国府(役所)を次々と攻略。ついに「新皇」を自称し、独自の朝廷を関東に打ち立てようとしました。これは日本史上、天皇以外で唯一「天皇」を名乗った極めて異例の事件です。

    2. 将門の最期:わずか2ヶ月の夢

    将門の天下は長くは続きませんでした。朝廷は即座に討伐軍を派遣します。

    • 北山の合戦: 940年、従兄弟の平貞盛や、下野国の押領使・藤原秀郷(俵藤太)らの連合軍と激突しました。
    • 最期: 将門は自ら陣頭に立って奮戦しましたが、飛んできた矢が額に当たり、討ち死にしました。新皇を名乗ってからわずか2ヶ月余りの出来事でした。

    3. 「首塚」と最強の怨霊伝説

    将門の死後、その首は京都で晒されましたが、そこから数々の恐ろしい伝説が生まれました。

    • 首の飛来: 京都に晒された将門の首が、胴体を求めて夜空を飛び、故郷である東国へと向かったという伝説があります。その首が落ちたとされる場所が、現在の東京都千代田区大手町にある「将門塚(首塚)」です。
    • 祟りの恐怖: 大正時代の関東大震災後や、戦後の占領下において、首塚を壊そうとしたり周辺を開発しようとした人々に不慮の事故や病気が相次いだため、現代でも「決して触れてはいけない聖域」として大切に祀られています。

    4. 将門と成田山の関係

    実は、有名な成田山新勝寺(千葉県)は、将門の乱を鎮めるために建立された寺院です。 朝廷が「将門を呪い鎮めるため」に不動明王を奉じたのが始まりであるため、今でも将門を信奉する人々(主に神田明神の氏子など)は、成田山へは参拝しないという風習が一部に残っています。


    5. 平将門の簡易年表

    年代 出来事
    生年不明 下総国(現在の茨城県・千葉県)付近で生まれる。
    935年 一族の平国香らと合戦。一族抗争が本格化。
    939年 常陸、下野、上野の国府を襲撃。「新皇」を自称する。
    940年 北山の合戦にて戦死。京都で梟首(きょうしゅ)される。
    1309年 疫病の流行を鎮めるため、神田明神に合祀される。

    まとめ:江戸の守護神へ

    怨霊として恐れられた将門ですが、徳川家康が江戸幕府を開く際、江戸の北東(鬼門)を守る守護神として神田明神に手厚く祀り直しました。以来、将門は「江戸の総鎮守」として、今も東京の人々に深く愛されています。