織田信長

戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、天下布武を掲げて日本のほぼ全土を制覇しようとしましたが、1582年に家臣の明智光秀に裏切られて本能寺で自害。
1534年
尾張国の織田信秀の子として生まれる。
1546年
元服して三郎信長と名乗る。
1549年
濃姫と結婚する。
1552年
父が死去し、家督を継ぐ。
1559年
尾張国を統一する。
1560年
桶狭間の戦いで今川義元を討ち取る。
1567年
斎藤龍興を討ち、稲葉山城に入る。岐阜と改める。
1568年
上洛して足利義昭を室町幕府第15代将軍にする。
1570年
姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破る。
1571年
延暦寺を焼き討ちする。
1572年
三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れる。
1573年
足利義昭を京都から追放する。
1575年
長篠の戦いで武田勝頼を破る。
1576年
安土城を築城する。
1582年
本能寺の変で明智光秀に襲われ、自害する。

織田信長の居城巡り

織田信長は幾度となく城を移り住んだと言われています。
勝幡城
織田信長は1534年、勝幡城(しょばたじょう)で生まれたと考えられています。*那古野城説もあります。
現在は石碑があるのみで当時の面影はありませんが、愛知県愛西市勝幡町と稲沢市平和町に跨って存在していたと考えられています。
那古野城
現在の名古屋城の二の丸付近にあった城。1532年に織田信長の父・信秀が今川氏豊を滅ぼし、勝幡城から居城を移しました。
名古屋城
信長の父・信秀は信長が2歳の時に那古野城を与えています。
清洲城
1555年に織田信長と織田信光の共謀により守護代の織田信友は殺害され、信長は織田家の当主となり清洲城へ移り住みます。
小牧山城
1560年6月12日の桶狭間の戦いで今川義元に勝利し、美濃攻略のために小牧山城の築城を開始します。1562年には清須城において徳川家康と清洲同盟を結び、1563年に居城を清洲城から小牧山城に移し、美濃攻略への足掛かりを整えていきます。小牧山城は信長が築いた初めての城です。
岐阜城
金華山(稲葉山)の山頂に建てられた難攻不落の山城。美濃を制すものは天下を制すとも謳われた。
安土城
岐阜城にかわる居城として1576年に琵琶湖湖岸に築城開始。1579年に天守に移り住んだと言われており、1582年6月21日の本能寺の変の後に焼失します。現在は石垣などの一部の遺構が残る。
ちなみに織田信長は高層建築物に住んだ初の日本人とも言われています。
最終更新日 2024/01/08