立待岬の墓地にある石川啄木一族の墓には、石川啄木、妻・節子、母・カツ、長男・真一、長女・京子、次女・房江、父・一禎、京子の夫・石川正雄の8名が眠っている。石川啄木は東京で亡くなったが「死ぬ時は函館で・・・」と宮崎郁雨へ宛てた手紙に書かれていたため、後にこの地に改葬された。
うんちく | - 石川啄木が函館で暮らしていたのは4ヶ月程であったが、「死ぬときは函館で」と宮崎郁雨へ宛てた手紙に書き残されていた。
- 1912年(明治45)に東京で病死した。26歳の若さであった。
- 石川啄木の妻・節子の妹の夫であり歌人の宮崎郁雨と、函館図書館の初代館長・岡田健蔵の尽力により立待岬に墓が建立された。
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