14歳の時に漁に出て遭難後、奇跡的にもアメリカに渡り学び、日本に帰国後は幕末・明治の偉人達に影響を与えたジョン万次郎。その生涯を再現した展示や、直筆の英文字など万次郎に関する資料等を展示。晩年は政治家になるよう誘われたが、教育者としての道を選んだ。
ジョン万次郎
- 1827年 …土佐の半農半漁の家の次男に生まれた。死去した父に変わって幼い頃から働いた。
- 1841年 …漁師仲間4人と遭難、無人島の鳥島に漂着し143日間生活後、アメリカの捕鯨船に救助される。万次郎以外の漂流者はハワイで、万次郎は船長のホイットフィールドの養子となりアメリカ本土に渡った。
- 1844年 …バーレット・アカデミーで英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学び首席となった。
- 1846年 …捕鯨船員として生活。
- 1850年 …日本への帰国の資金を得るため、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへ渡る。得た資金$600を持ってホノルルに渡り、土佐の漁師仲間と再会し、日本に帰国。
- 1852年 …土佐藩の士分に取り立てられ、藩校「教授館」の教授に任命され、後藤象二郎、岩崎弥太郎などに教える。
- 1853年 …黒船来航。幕府に召聘され江戸に赴く。軍艦教授所教授に任命される。
- 1860年 …日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団の1人として、咸臨丸に乗りアメリカに渡る。
- 1867年 …薩摩藩の招きで航海術や英語を教授。
- 1869年 …明治政府により開成学校(現・東京大学)の英語教授に任命される。
- 1898年 …72歳で死去。