千利休の養子であった千少庵(せんのしょうあん)が建てたと言われる茶室。一席500円(お菓子付)で抹茶を楽しむこともできます。
歴史
千利休は1591年に豊臣秀吉の怒りに触れ命を落としたが、武将でもあり利休七哲の一人でもあった蒲生氏郷(がもううじさと)は千少庵を会津にかくまった。その時に
鶴ヶ城内に千少庵が造らせたと伝えられる茶室である。
明治になり鶴ヶ城が取り壊される際には、この茶室を失う事を惜しんだ森川善兵衛が自宅へ移築し、平成2年9月1日に鶴ヶ城内の元の場所へ戻されるまでは森川家が保全した。