明智光秀
戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将で、織田信長の家臣として多くの戦功を挙げたが、1582年に本能寺で信長を襲撃し。その13日後に山崎の戦いで敗れた。
-  1528年
-  美濃国の斎藤道三の家臣で土岐氏の一族、明智光綱の子として生まれる。
-  1535年
-  父が死去し、家督を相続。叔父の明智光安の後見を受ける。
-  1556年
-  斎藤道三と長男の斎藤義龍が争い、明智城が落城。明智家は離散し、浪人となる。
-  1562年
-  越前国の朝倉義景に仕える。鉄砲隊を率いて加賀一向一揆と戦う。
-  1568年
-  足利義昭の幕臣となり、織田信長に仕える。信長に担がれて上洛した義昭が15代将軍に就任。
-  1570年
-  足利義昭と信長が対立。姉川の戦いで信長に味方し、浅井・朝倉連合軍に勝利。
-  1571年
-  信長に従って比叡山焼き討ちを実行。
-  近江国志賀郡5万石を与えられ、坂本城を築城。
-  1573年
-  足利義昭が京都を追放され、室町幕府が滅亡。
-  一乗谷の戦いで朝倉義景を討ち滅ぼす。
-  1575年
-  第一次黒井城の戦いで丹波方面の攻略に失敗。
-  長篠の戦いで武田勝頼を破る。
-  1577年
-  信貴山城の戦いで松永久秀を討つ。
-  丹波方面の攻略を開始。
-  1578年(
-  丹波国に亀山城を築城。二つ目の居城とする。
-  1579年
-  丹波国、八上城の波多野秀治、秀尚兄弟を攻め落とす。丹後国の一色義定を降伏させる。丹波国一国(29万石)を与えられる。福智山城(福知山城)を築城。
-  1582年(天正10年)
-  安土城で徳川家康の接待役を務める。
-  6月12日 愛宕神社で連歌会を開催。
-  6月21日 本能寺の変で信長を襲撃し自害させる。
-  7月2日 山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、逃走中に討たれる。
 
	
	最終更新日 2024/01/08