中村不折▼

中村不折(なかむらふせつ)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の洋画家・書家。夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵、新宿中村屋のロゴなどでも知られている。また、中国の書道に深い関心を持ち、書跡を収集。1936年には、自らのコレクションを展示する書道博物館(台東区)を開館。
清酒「日本盛」、宮坂醸造の清酒「真澄」、新宿中村屋のロゴなどで知られる。
1866年(慶応2年)7月10日
江戸京橋に生まれる。本名は鈼太郎。
1870年(明治3年)
一家で父の郷里の長野県高遠(長野県伊那市)に移住。
1887年
高橋是清邸の空き部屋に住みながら、画塾「不同舎」に入門。
1894年
正岡子規に出会い、日本新聞社で挿絵を担当。
新聞「小日本」に俳句が掲載され、「不折」の名を使用する。
正岡子規とともに日清戦争に従軍し、中国に渡り書に興味を持つ。
1895年(明治28年)
日清戦争に従軍。
1901年
渡仏 *1905年まで
1905年
夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を担当。
1913年(大正2年)
書道博物館(後の台東区立書道博物館)を開設。
1936年(昭和11年)
聖徳記念絵画館の壁画が完成。
1943年6月6日
東京都下谷区の自邸で死去。享年78。

関連人物

森鷗外、正岡子規、夏目漱石らとも親しかったことで知られる。
1894年には正岡子規に出会い、日本新聞社の発行する新聞『日本』の記者となり、新聞『小日本』の挿絵を担当する。
漱石は不折に「発売の日からわずか20日で初版が売り切れ、それは不折の軽妙な挿絵のおかげであり、大いに売り上げの景気を助けてくれたことを感謝する」という旨の手紙を送っている。
森鷗外が没した際は、「書ハ中村不折ニ依託シ、宮内省陸軍ノ榮典ハ絶對ニ取リヤメヲ請フ」」との遺言により、不折が墓碑銘を揮毫した。
  • 夏目漱石…「吾輩は猫である」の挿絵を担当
  • 横山大観…太平洋画会で共に活動
  • 岡田三郎助…太平洋画会で共に活動
  • 川端龍子…太平洋画会で共に活動
  • 藤島武二…太平洋画会で共に活動
  • 岡倉天心…帝国美術院の創設に尽力
  • 正岡子規…日本新聞社では同僚。「柿くえば鐘が鳴るなり法隆寺」は中村不折が奈良旅行を勧めたのがきっかけ。
  • 聖徳記念絵画館 ☺明治天皇を中心に、幕末~明治天皇の崩御までを時系列で約80枚の巨大な絵画でつむぎ出される絵巻物という感じです。絵を楽しむ半分、解説を読みながら歴史を楽しむ半分で、大政奉還、西南戦争、日露戦争など、教科書に載ってる絵などもあると思います。明治天皇以外にも、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視 など...

  • 聖徳記念絵画館 ☺明治神宮外苑はかつての大日本帝国陸軍練兵場という軍用地。明治天皇の葬儀は、現在の絵画館の裏側あたりにて執り行われ、京都の伏見桃山に埋葬された。

  • 聖徳記念絵画館 ☺建物周辺が駐車場ですので車はいっぱい止めれます。

  • 聖徳記念絵画館 ☺始まりの絵は江戸から明治となり、表舞台に立たされたであろう少年の明治天皇が、最後には立派な髭をたくわえた、軍神のように頼もしい姿に成長していく姿がみてとれます。とくに、岩倉具視の病床に明治天皇が見舞いに現れた絵はうるっとしました。

  • 聖徳記念絵画館 ☺美術好きの方だけでなく歴史好きの方も楽しめると思います。全てしっかり読んでみていると1時間以上はかかります。

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