五百羅漢像には悲しいいわれがあり、井伊家の11代藩主・井伊直中は不義の子を宿した槻御殿(男子禁制)の腰元・若竹を成敗してしまう。若竹の死後、相手は直中の子・直清であったことが判明。そのため若竹とその子菩提を弔うため京の仏師・駒井朝運に500体の羅漢像を彫らせたと言う。
五百羅漢