陵名は檜隈阪合陵。全長約140m、後円部径72m、前方部107mで、墳丘は3段築成 で周濠を持ち、明日香村内では唯一の前方後円墳である。 欽明天皇のころには、百済から仏教が正式に伝わるなど、後に開花する飛鳥文化の源ともなる時代であった。 『日本書紀』によれば、欽明天皇は32年(571年)4月になくなり、 9月に檜隈阪合陵 に埋葬されたとある。欽明天皇の妃で推古天皇の母、堅鹽媛(かいしがい)を推古天皇20年(612)に合葬し、28年(620)10月には砂礫を檜隈陵の上に葺き、土を積みて山を成し、氏ごとに大柱を土の山の上に建てさせるという記事が見える。