高峰顕日(仏国国師)のゆかりの地

高峰顕日(こうほうけんにち)。
生誕 1241年~ 死没 1316年。


第88代天皇・後嵯峨天皇の皇子として京都に生まれ、臨済宗の僧となった。弟子に夢窓疎石など著名な僧がいる。



東福寺
京都屈指の紅葉の名所。奈良県の東大寺と、興福寺から一文字ずつを取り入れ、東福寺と命名された。
16歳で東福寺の開山・円爾(えんに)に従い出家。


建長寺
けんちん汁発祥の地として知られる建長寺。
1260年。北条時頼の要請で南宋より来日した建長寺二世・兀庵普寧(ごったんふねい)の侍者として鎌倉へ。
ちなみに、兀庵普寧は難解な講釈を行っていたことから、「ごたごた」の語源になったと言われています。
雲巌寺 日本禅宗4大道場
鎌倉を離れ那須の雲厳寺を再興。主たる活動拠点にし、政治・宗教の中心地である鎌倉からは距離を置きました。



1279年、来日した無学祖元(むがくそげん)と出会い、無学から印可を受け法を受け継ぐ。無学祖元はその後、鎌倉の円覚寺を開山した僧として知られています。

円覚寺
晩年
60歳を超える頃になり、鎌倉幕府執権・北条貞時・高時父子の帰依を受け、鎌倉の浄妙寺・浄智寺・建長寺の住持を歴任。


浄智寺
鎌倉幕府八代執権の北条時宗が、弟の北条宗政(-むねまさ)の菩提を弔うために、1283年(弘安6)に創建された寺院。鎌倉五山第4位。夢窓疎石(1275~1351)などの名僧も住職となり、鎌倉・室町時代に栄え、かつては総人員は500人に及ぶ大寺院であった。

浄妙寺
源頼朝の重臣である足利義兼(-よしかね)が1188年に開基(創立者)、開山(初代住持)は退耕行勇。鎌倉五山の第五位の寺院としてかつては広大な寺地を有していた。


建長寺
正統院(しょうとういん)。高峰顕日が浄智寺内に建てた庵居(1300年)。1335年に高弟・夢窓疎石が建長寺内に移転したと言われています。
1315年になると那須に戻り、1316年に76歳で死去。
最終更新日 2023/05/25