かつて千葉城・隈本城のあった茶臼山一帯に加藤清正が1591年頃から城郭を築きはじめたのが今見られる熊本城の始まり。1600年頃には天守閣が完成し、1606年に「隈本」を「熊本」と改めた。加藤清正の子・加藤忠広が改易されたため、豊前小倉藩・細川忠利が領主となり、以後江戸時代を通じて細川家により拡張されていった。明治の西南戦争の際には政府軍の拠点となっていたが、西郷軍の攻撃前の1877年2月19日に原因不明の出火で大小天守や本丸御殿などの多くを焼失。1960年(昭和35年)に大小天守閣などが復元された。
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熊本城の桜
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熊本城
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熊本城 田原
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加藤清正公像
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城内案内図
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本丸御殿
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宇土櫓
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天守閣
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高さ約19mの櫓。彦根城などと同じぐらいの大きさで、第三の天守とも言われています。
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二様の石垣。熊本城の石垣は地面に対して斜めに積まれており、勾配があるのが特徴。
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末広がりの石垣は、はしごをかけようとしてもうまくかからないらしい。
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石垣。この武者返しと呼ばれるクビレは地震にも強い。
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大天守閣からの市街地の眺め
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西大手門・南大手門
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無料シャトルバス
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飯田丸五階櫓
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宇土櫓と石垣
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二の丸広場
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大小天守閣
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独立櫓跡
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築城当初に築かれた宇土櫓の石垣と二様の石垣は崩落せず、変形もほとんど見られなかった。
うんちく | - 天守閣は熊本博物館の分館にあたる。
- 夜の11時まで天守閣はライトアップされています。
- 一口城主制度
- 一口一万円で城主になれる制度。天守閣に名札が掲示されるとともに、熊本市の16の有料施設へ無料(1口1年)で入園できる。
- 西南戦争では政府軍の3倍以上の兵を率いた西郷軍14,000人の攻撃に耐えた。西郷軍は誰一人として城内に侵入することができなかった。
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