御水主町は瑞巌寺の東に隣接した一画で、仙台藩主等が松島遊覧の際の御座船(ござぶね)を操った水主衆が集団で住んでいた。 水主は瑞巌寺造営当時(1605)、 地元や和歌山·静岡 愛媛などから雇用されてここに住み、 往時には48軒を数えた。彼らの住居は、藩の定めにより茅葺、寄棟造、表通りに面して出格子(でごうし)と蔀戸(しとみど)を設け、冠木門等(かぶきもん)を構え天井は上げなかった。 昭和51年に最後に残った1棟を ここに移築復元した。